ベトナム戦争に95式軽が参加していた? 投稿者:ktgw 投稿日:2001年 3月12日(月)21時29分34秒
某古書店から「丸」S49.10月号「部隊別・戦闘詳報・日本戦車隊の戦歴」を購入してみました。
ひょっとして珍しい写真でも…と思ったのですが、やはり写真類は極めて鮮明だが「丸スタンダード」の定番物だけでチョットがっくり。
この雑誌は昔から旧海空軍主題の情報誌なんだなと再認識した次第ですが、面白い記事もありましたので概要をば。
@九五式の写真が「異郷にひとり戦車老ゆ」のタイトルであり、(以下原文通り)「サイゴンの森林警備隊本部前におかれている95式…(略)
かつてサイゴンに進入した解放戦線に対して37ミリ戦車砲が活躍したという」この頁にはワシントンのチハ改の写真も並んでます。
その他表紙タイトル通りの特集は40頁弱。
A戦車25連隊の元曹長氏・・・94式軽装甲車で苦労したことや、昭和17年11月頃に包頭でチハ改(筆者によれば「九七式改良チハ車」)や
「砲戦車、軽戦車の新鋭が続ぞくと到着してきた」ことを書かれています
B戦車1連隊の元曹長氏…「発煙筒ヲ装シ「スイッチ」ヲ入レルモ、連日ノ「スコール」デ発火装置ノ機能ヲ損セシカ、ドウシテモ点火セズ。
ヤムナク山本曹長と藤井伍長ハ車外ニ飛ビ出シ、手動ニテ前方ニ投ゲル」の記述有り。
C戦車第2連隊の元曹長氏…夜襲でM3(リーかスチュアートか不明)を鹵獲し、利用した
D戦車第10連隊の元軍曹氏…レイテで陸から空からコテンパンにやられ、最後は小船で戦地から脱出したという悲惨な物語
Eその他…旧軍ではないのですが、61式のエンジンを外した後のエンジンルームの写真(これって当時、機密ではなかったんだろか?)
もあったりで、それなりに楽しめました。写真以外の戦闘参加者の手記類は丸誌は歴史がある分、探せばいろんな記事が有るようです。
ご参考までに。
投稿者:鉄獅子 投稿日: 3月12日(月)23時27分51秒
丸誌が有りましたね!押し入れを探してみました。
主なところで昭和34/3「戦車隊戦史」、36/9「戦車のすべて」、37/10「日本の戦車」、45/11「少年兵戦記」、46/4「ああ少年戦車兵」、
53/10「東西高速戦車列伝」、平成2/6「日本の戦車連隊」に日本戦車隊の記事がありました。
ところで、36/9号の写真の中に砲塔に“き"車体に“617"のチハ改がありますが、富士戦車連隊とか元戦車学校所属かな!?
95式について 投稿者:あきら式改 投稿日: 3月12日(月)23時49分37秒
>ktgwさん
インドシナにおいて95式は89式とともにフランス植民地軍によって使用されています。最近見た本に載っていました。
(すいません。名前忘れましたm(_ _)m)
日本の戦車と装甲車両のP74の写真がまさにそれで車体後部のマーキングがフランス軍のものになってます。
増加装甲もフランス軍によって施されたとのことです。
投稿者:むー 投稿日: 3月13日(火)01時05分46秒
>ktgwさん、鉄獅子さん
>丸
丸のINDEXも忘れてはいけませんね。
丸の場合数年に1回戦車特集が組まれていますが、最近は昔の記事の再掲や焼き直しが多いのが欠点です。
ktgwさん、鉄獅子さんの挙げていただいた物の他に
38/10 東西戦車列伝、39/12 戦車と戦車戦、40/11 特集ではないですがグラビアで 日本陸軍の戦車、
53/10 東西高速戦車列伝、55/8 対戦車戦のすべて、57/7 戦車と機甲戦、 63/6 機械化師団のすべて
H10/11 日本の機甲部隊 等があります。
いずれINDEXを作りたいです。
>あきら式改 さん
>インドシナにおいて95式
以前Takiさんがグランパより先にこの掲示板で情報を教えていただいた写真です。
インドシナの日本軍戦車 投稿者:Taki 投稿日: 3月13日(火)01時26分38秒
インドシナでフランス軍に引き渡された九五式と八九式は捜索第二連隊が保有していた物です。
フランス軍によって使用されている写真を以下のアドレスに掲載しています。
しかし、九五式がベトナム戦争で使用されたとは驚きです。たぶん、捜索第二連隊のものでしょう。
中東戦争で使用された4号戦車に相当するような話ですね。
http://members.nbci.com/taki_spc/indochina.htm
捜索第2連隊の八九式戦車 投稿者:みけねこ 投稿日: 3月13日(火)17時57分13秒
前にお話が出ているかもしれませんが
第2師団はわたしの研究対象のひとつになってますので、ちょつと書き込んでみたいと思います。
昭和18年12月 八九式中戦車(甲)7両、自動貨車2両、側車1両、各連隊選抜の人員を集めて特設戦車小隊としてマレーのクアラルンプールで編成完了、その後陸路ビルマラングーン北西レパタンに集結(3月) ここで装備の充実、兵員の増強を図り 特設戦車隊 となる
インパール作戦の失敗が決定的となった7月 33軍直轄となりマンダレーを経てナンカンで足止めされ、そのまま菊兵団の指揮下に入りナンカン防衛戦では移動トーチカとして奮戦、翌20年1月師団復帰を命ぜられ、行動可能の戦車2両、側車1両をモンユで龍兵団へ引継ぎ人員は師団を追求 中部ビルマへ移動して行く。1月30日ピンマナにおいて特設戦車隊は解体された。
以上は 騎兵、捜索第2連隊戦史 からの抜粋ですがその後の戦車の行動は不明です
八九式中戦車甲 Vs M4・M3中戦車 なんか聞いただけでもゾツとする話です
鉄獅子通信!? 投稿者:鉄獅子 投稿日: 3月13日(火)21時45分46秒
次号のAM誌は日本戦車の特集ということで大変楽しみです!
中西さんの情報では福岡市立図書館が面白そう。今度の九州行きは蒙古襲来関係の見学が主ですが、益々楽しみに。
久留米の図書館はどうかな。
龍兵団に引き渡された2両の八九式中戦車のその後:萬中尉に率いられ捜索第五六連隊第三中隊萬戦車小隊となる。
八九式中戦車を苦心惨憺して、北シャン州から、ロイレムまで走行させてきたが、そこで敵機に破壊されたそうです。
細見戦車第一師団長の意地:「終戦後師団は解散全兵器は米軍に引き渡すこととの命令を受け、私は各隊に戦車から
小銃に至るまで完全整備をするよう命じた。かくのごとく完全充実した兵器装備をもちつつ敵に降ることはひとえに終戦が
天皇のご命令によるものであることを米軍にしつかと示したかったからにほかならない。」戦車第五連隊解隊式のような
素晴らしい写真の存在する理由が解りました。
捜索第二連隊の八九式 投稿者:Taki 投稿日: 3月14日(水)01時55分06秒
特設戦車は解体されて八九式2両は龍兵団に引き渡されたのですが、その時故障でマンダレーで修理中の八九式が1両有り、
本隊の捜索第二連隊を追求して、マンダレーからプノンペンまで実に1,800キロを走破して20年3月に本隊と合流しています。
(この話は「騎兵捜索第二連隊史」の734ページに載ってます。)
フランス軍で使用中の写真には八九式は1両だけしか写ってません。(2枚の写真の八九式は同一車両です)。従って、私は写真に
写っている八九式はこの本隊を追求してきた車両だと考えています。
訂正 投稿者:Taki 投稿日: 3月14日(水)01時57分09秒
特設戦車は --> 特設戦車隊は
八九式戦車のその後 投稿者:みけねこ 投稿日: 3月14日(水)02時00分00秒
鉄獅子さん
追加の記述ありがとうございます
それにしても 鉄獅子さんの知識と情報量の多さには感心させられます。また疑問点があったら投稿しますのでそのときはよろしくお願いいたします
むーさん
わたしの周りには日本陸軍ファンというのは一人もいませんが 当然このような内容の濃い話など望むべくもなく自然と他の話題になってしまいます。その点この掲示板はいいですね 気兼ねなく旧軍の話ができますしなにより皆さん紳士です。
ではまたおじゃましたいと思います
ビルマからインドシナ 投稿者:みけねこ 投稿日: 3月14日(水)02時16分08秒
Takiさん
修理中の八九式戦車があったのですか 捜索第2連隊史は抜粋してコピーを取ってたものですから見逃していました。
これでビルマからインドシナまでの点と線がつながりました。
ありがとうございます
徹甲弾にも「矢頃」があるんじゃなかろうか 投稿者:中西豪 投稿日: 3月14日(水)21時23分04秒
『戦車第七聯隊史』、ルソンでのM4との対戦手記を読んで。
戦国期の矢がいちばん貫徹力を発揮する、威力があるのは経験則で30メートル前後と知られていたようなんですよね。
そのあたりを「矢頃」という。
チハ改の47ミリ、3,40メートル、はては7メートルなんて至近距離でM4の正面装甲に弾かれています。
従来、避弾形始、傾斜装甲効果で説明されるものですが、至近すぎて弾道安定に欠けていた、とか別の原因があるんじゃ、
とあらためて疑問に思ってしまいました、素人考えながら。
みけねこさん>
はじめまして。
>八九式vsM3・M4
ルソン島で、八九式(複数)対M4が現実のものとなっています。
八九式がアンブッシュしているところへ、M4がのこのことやってきて大休止、袋叩きにされて乗員がパニックに陥り降伏。
日本軍戦車兵がこの分捕りM4で敵陣突破、味方最前線へたどり着くという顛末は、二十数年前の別冊丸(増刊? A5判の奴)
に手記が載りました。
味方からも当然散々撃たれる、日章旗をうち振って止めさせようとしても吹っ飛ばされる、ついに砲塔に跨って「おーい、味方だぞ!」
と叫ぶところで終わり。そのあと、この捕獲M4はどうなったのか、御存知の方、おられませんか?
鉄獅子さん>
福岡にお越しの節は、ご一報下さい。いろいろとご教示いただきたく。
>雑誌「丸」巻末長篇戦記
戦車兵関係もけっこうありましたねえ、古本屋でそういったのを選って買っていましたが、実家に置いてあって確認できない……。
例の、「砲塔が二重装甲」になっているチハ改のルソン奮戦記もあったはずですが。
数年前、戦記スペシャルとして長篇戦記をジャンル別に集成したものが、二十数冊出ましたが、たしかその17,18巻が戦車隊関係に
充てられていた、と記憶しています。
懲りずに教えて下さいね 投稿者:ktgw 投稿日: 3月14日(水)21時43分59秒
いやー、「丸」誌の件でも豊富な皆様の情報をお借り出来、感謝に耐えません。(そうそう、丸の付録で20年位前にタタミ1畳位に拡大した
大きさのチヌ・3式砲戦車の戦後の集積場写真もありましたよね。あれも売ってしまった・・あーモッタイナイ。)
写真・記事INDEX作りにも参加・協力させていただきたいと本心から思うのですが、何せ数十年前に多数の資料を売却処分しており、近日
になってやっと再収集始めたばかりで皆様の足元にも及ばない状態です。当面ご容赦下さい。
戦車第五連隊解隊式の大判ポスターが欲しい 投稿者:鉄獅子 投稿日: 3月15日(木)01時06分14秒
みけねこさん:情報は捜索第五六連隊回想録からでした。この掲示板を読んだり書いたりするのは楽しいですね。
歩兵第二師団ガ島、ビルマ、明号作戦とこき使われてますね。仙台、新発田、会津若松連隊といかにも強そうですね。もうすぐ、亀井宏氏の
ガ島戦記読み終えるところです。
ルソン島の戦車戦 投稿者:みけねこ 投稿日: 3月15日(木)01時30分16秒
中西豪 さん はじめまして
おもしろい記事ありがとうございます
二十数年前といえば日本海軍艦艇の研究にどっぷりと浸かっていたものでその当時の陸軍関係の資料はまったくと言っていいほど持っておりません。
またおもしろそうな記事があったらお願いいたします
追伸:95式inベトナム戦争 投稿者:ktgw 投稿日: 3月15日(木)21時26分28秒
そうそう、インドシナ戦争に九五式が参加してること思えばベトナム戦争参加と実質同じことかも知れませんね。
いや、どうしてもあのサイゴン突入のベトナム戦争終結の映像がマブタにちらついてまして九五式対T54やT62とかいう想像するのもイヤになる
場面を想定しておりました。反省!
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